維新!

藤田 文武 (ふじた ふみたけ)

藤田 文武 (ふじた ふみたけ)

活動予定及び報告

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2017/04/23

【満員御礼☆事務所開きを開催致しました】

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2017/04/08

【中村はるき大東市議会議員 市政報告会開催報告】

藤田文武事務所開所式チラシ

2017/04/05

【事務所開きのご案内】

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プロフィール

藤田 文武(ふじた ふみたけ)

藤田 文武(ふじた ふみたけ)

誕生日
昭和55年12月27日
血液型
A型
本籍地
大阪府寝屋川市
家族構成
妻、長男(2016年誕生)
座右の銘
敬天愛人、着眼大局着手小局
スポーツ
3歳から空手道(父が師範を務める道場にて)
中学 バスケットボール、空手道
高校 ラグビー部に所属
大学 体育会ラグビー部に所属
趣味
読書、有機農法での野菜作り、運動すること
尊敬する人
父(2009年に他界)、西郷隆盛、周瑜公瑾
年間読書数
50〜60冊
心に残った本
松下幸之助の哲学(松下幸之助著)
好きな食べ物
お茶漬け、ヨーグルト、チョコレート
苦手な食べ物
納豆、パクチー

藤田文武の略歴

1980年12月
大阪府寝屋川市に生まれる
1987年3月
明徳保育園(寝屋川市) 卒園
1993年3月
寝屋川市立三井小学校 卒業
1996年3月
寝屋川市立第十中学校 卒業
1999年3月
大阪府立四條畷高等学校 卒業
2004年3月
筑波大学 体育専門学群 卒業
(体育会ラグビー部に所属、スポーツ産業学を専攻)
2004年4月〜
大阪府立の高等学校にて保健体育科講師として勤務
(大阪府立四條畷高校、大東高校、牧野高校にて勤務)
2005年4月〜
スポーツマネジメントを学ぶために海外へ渡航
(オーストラリア、ニュージーランド)
2006年10月〜
スポーツマネジメント関連のベンチャー企業に勤務
2008年には、執行役員兼マネジメント事業本部長に就任する
2010年7月〜
独立し、会社設立。
「スポーツ、健康、医療、介護、福祉、教育、IT」の分野で事業を展開

その他、所属団体など

  • ・維新政治塾 第1期生
  • ・一般社団法人 政経倶楽部連合会
  • ・大久保秀夫王道経営塾 第3期生
  • ・筑波大学ラグビー部OB会 副幹事長
  • ・株式会社KTAJ 代表取締役
  • ・林英臣政経塾 第8期生
  • ・一般社団法人 公益資本主義推進協議会(PICC)
  • ・大阪茗渓会 幹事(筑波大学OB会の大阪支部)
  • ・大阪府立四條畷高校ラグビー部OB会 指導委員

私の履歴書

幼少期〜小学校時代

1980年(昭和55年)12月27日、藤田家の長男として大阪府寝屋川市に生まれる。厳しい父と優しい母に育てられ、 礼儀や挨拶といった躾はとても厳しかった。

3歳から父が代表をつとめる道場にて空手道を学び始める。厳しい稽古で辛い時もあったが、 武道の所作や世界観を身に付けることができ、何よりも強くたくましく育ててくれたことに今でも感謝している。

初詣、七草、節分、お花見、こどもの日、七夕、お月見など、 家庭では日本の季節感を感じることができる年中行事や料理を体験させてもらい、とても嬉しかった。 そんな両親の影響もあり、幼少期から日本の伝統文化に触れる機会をたくさん得ることができ、 自分を育ててくれたコミュニティに対する愛情・愛着が強くなった。

大人になった今、「祖先を敬い、家族を愛し、仕事を愛し、母校や会社を愛し、故郷を愛し、 国を愛するという心」を自然に持つことができたのは、幼少期に両親や近所の人たち、恩師や先輩方から、 厳しくも温かく育ててもらったおかげだと感謝している。

中学校時代

1987年、寝屋川市立第十中学校に入学。
スポーツが好きだったこともあり、 3歳から始めた空手道だけでは体力をもてあますようになった。そんな時に、 担任の先生から部活動への入部を勧められて、バスケットボール部へ入部。チームスポーツの楽しさを知った。 担任の先生や、体育の先生にはとても可愛がってもらった。

高校時代

1996年、大阪府立四條畷高等学校へ入学。中学時代のバスケ部の先輩の誘いもあって、ラグビー部に入部した。四條畷高校ラグビー部は、過去に全国大会に9回も出場したことのある伝統校で、大学や社会人でも活躍したOBの皆さんからの温かいご支援・ご指導を頂いた。

畷高ラグビー部のモットーは「炎のタックル」といって、どんな強い相手でも逃げることなく真っ向から立ち向かう魂が伝統として受け継がれていて、毎日の練習は本当に厳しかったが、そのおかげで肉体的にも精神的にも強くなった。伝統の重みを感じ、いつか成長して恩返しできる人間になりたいと強く思った。

大学時代

一浪の末、2000年に筑波大学体育専門学群に入学。体育やスポーツの分野では日本一ということもあり、レベルの高い授業や全国から集まる意識の高い仲間たちは刺激的だった。筑波大学は首都圏ではあっても都心部から離れた場所にあり、少々田舎ではあるが、勉強やスポーツに打ち込むには絶好の環境。何事も自由な学風であり、受け身でいると何もすることがなく終わってしまう。それが故になんでも主体的に取り組むことが求められ、「自立心」が自然と身についた。

入学とともに、体育会ラグビー部に入部。全国から有望選手が集まる名門でのラグビー生活は、厳しい環境であったが毎日が楽しかった。自分自身はケガが多く選手としては大成できな
かったが、チームは数十年ぶりの好成績を挙げ、嬉し涙を流した。4年次に主務を任されたこともあり、約80名の組織の陣頭指揮をとるリーダー経験を得たことは、社会人になった今でも活きている。

大学時代に、父からはじめて手紙をもらう。その手紙をきっかけに、自発的に学問に取り組むことに目覚め、自分が生まれた日本という国や、自分を育ててくれた故郷に対して何ができるが、何をすべきかを具体的に考え始めるようになる。そして将来、自分自身が「経営者、教育者、政治家」になって社会に貢献したいという意思が明確に芽生え始めた。

教職時代、留学時代

大学卒業後は地元大阪へ戻り、取得した高校教員の免許を活かして、母校四條畷高校の全日制と定時制で保健体育科の講師として教壇に立った。縁あって、大東高校(現:緑風冠高校)、牧野高校でも勤務することができた。母校四條畷高校では、ラグビー部のコーチ(顧問)もさせていただき、後輩たちと毎日汗を流した。1年間の短い期間ではあったが、教育現場に携わる責任と大切さを肌で感じることができたし、自分を育ててくれた母校に対して、微力ではあるが貢献することができ、嬉しさがあった。

非常勤講師は兼業を認められていることもあり、空いた時間はすべてアルバイトと勉強に費やし、留学資金を貯めた。はじめての海外生活はオーストラリアからスタートした。ブリスベンとゴールドコーストを拠点に、語学学校へ通いながら、目的であった地元のラグビー文化にどっぷり触れた。貧乏学生だったので、毎日バイトで食費と学費を必死で稼いだ。その後、ニュージーランドの首都ウエリントンへ移り、スポーツマネジメントの専門学校へ編入した。
父の病気の手術もあって、急遽卒業前に帰国することになったが、約1年半の留学生活は貴重な経験だった。特に、他国からの留学生たちとの出会いは大きかった。自国の歴史や文化について自信を持って語り、将来は母国に貢献したいという志を持った同年代との出会いを通じて、日本の豊かさに感謝するとともに、自分の志を問い直し、日本人の在り方を深く考え直すきっかけとなった。

ベンチャー企業時代、独立起業

帰国後、大阪のベンチャー企業に就職。とにかく、20代の頃は誰にも負けないくらい圧倒的に努力することを心がけた。誰よりも多くの仕事量を、誰よりも質が高くこなせる土台を作ることを意識した毎日。経験も実績も無い、熱意と負けん気だけが取り柄の私を、当時の社長は面白いと思ってくれたのか、次々に大きな仕事を任せていただき、1年半で執行役員にまで引き上げてもらい企業経営全般に関わることができた。経営者として必要な基礎はすべてここで学んだと言っても過言ではない。
そんな中、2008年のリーマンショックでは、取引先や同業他社の倒産が続出し、自社も経営危機を迎えた。中小企業経営の厳しさを目の当たりにすると同時に、雇用を守ることの難しさと大切さを身にしみて感じた。結果的にはいろんな人の助けもあって、自社はこの危機を乗り越えることができたのだが、この経験を通じて確信したことは、日本が国際社会において強さを発揮し、政治においても経済においても良い意味でプレゼンスを高めていかなければならないということだった。

その後独立し、「スポーツ、健康、医療、介護、福祉、教育、IT」の分野で事業を展開。株式会社KTAJでは、地域密着型事業モデルの構築ミッションとし、スポーツジム、鍼灸整骨院、介護施設、障がい児童の療育施設、地域振興事業などを展開させて頂いている。従業員が徐々に増え、人の人生を背負うという責任の重みを日々感じている。一歩一歩ではありますが、社会に貢献できる会社を目指し、理念型王道経営を追求し、「すべての基は人である」という考え方を柱に経営を行っています。

私の志と覚悟

輝け、日本の未来!今こそ、日本の底力が試される時!

今、我が国は転換期にあります。
世界は人口爆発が進む中、日本は先進諸国に先駆けて人口減少、少子高齢化の時代に突入しました。
戦後焼け跡からの復興、高度経済成長を経て、我が国は世界に冠たる豊かさを築き上げました。しかし、バブル崩壊後、
失われた20年を経て、私たちが生きる21世紀は、未来に不安を感じる社会心理が日本を覆ってしまっています。

国内を見れば、地方の衰退、経済の低迷、教育の荒廃、国家財政の危機、社会保障の不安、不安定化する安全保障、
エネルギー問題、そして一向に前に進まない政治。
世界に目を向ければ、世界経済は低迷し、同盟国であるアメリカは多くの社会病理を抱えて苦しみ、
中国は海洋覇権の意思を明確にし、イスラム諸国は混乱し、ヨーロッパはテロの恐怖に直面し、
貧困や格差問題は解決の糸口をつかめない。
戦後70年を経て、世界は物質的には豊かになったにもかかわらず、社会問題は
ますます増えたのではないでしょうか。
今こそ、新しい時代の豊かさとは何かを本気で考え、
心の豊かさを取り戻さなければなりません。

前向きで活気がある日本。
子供たちに夢と希望が溢れる日本。
将来世代に責任を持って引き継いでいける日本。
地方が活力を取り戻し、新しいイノベーションを起こせる日本。
国民の知恵を総動員して、世界に先駆けて新しい時代を切り開く日本。
世界の中で、我が国にしかできない役割を果たしていける、自立した日本。

そんな、素晴らしい日本を再生したい。
今こそ、日本の底力が試される時なのです。

いつの時代にも危機はあり、そこに立ち向かった先人達がいました。
今こそ、私たち現役世代が責任を持ち、それぞれの故郷や日本全体を
「我が事」と思って立ち上がり、国民の衆知を結集してこの難局を
乗り越えていかなければなりません。

世界に先駆けて転換期を迎えている日本には、大きな改革が必要です。
だからこそ、大きな「志と覚悟」を持った政治家が求められています。
この転換期を乗り越えて、新しい時代の豊かさを創り上げていく
「大改革」のために、私は、自分の人生のすべてを使いたいと志を立て、
覚悟を決めました。

私、藤田文武は、全力を尽くして、故郷大阪と日本の未来に
恩返ししていく所存でございます。
皆さまの、多大なるご指導ご鞭撻を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

藤田 文武

藤田 文武

理念と政策

政治理念

人口が減少するという時代の転換期を迎える中でも、国民が一丸となって知恵を出し合い、
明るく豊かな日本を将来世代に繋いでいくために、勇気ある改革を進めることができる政治を行う。

藤田 文武

基本政策

1. 統治機構改革

  • 中央集権型国家から地方分権型国家へ
  • 首都機能を担える大阪の役割
  • 地方が活力を取り戻すための道州制

2. 財政、行政、政治改革

  • 国民に負担を強いる前に、身を切る改革
  • 持続可能な小さな政府
  • 財政の健全化

3. 教育改革

  • 幼児期から大学まで教育の無償化
    (経済格差による教育格差を無くす)
  • グローバル人材の育成
  • 日本人の心やアイデンティティ、
    郷土の文化を大切にする教育

4. 社会保障制度改革

  • 受益と負担の公平を確保する税制度
  • 自助、共助、公助の役割分担を最適化し、持続可能な社会保障制度を構築
  • 自立した個人を増やし、
    真の弱者を徹底的に支援する

5. 経済政策、雇用政策、税制

  • 法人税、所得税、消費税、相続税の
    一体改革(公平かつシンプルな税制度へ)
  • 地方の競争力を強化する経済政策。
    規制緩和と権限移譲。
  • 再チャレンジが活発化する雇用政策。
    徹底した就労支援と労働市場の流動化。

6. 外交、安全保障

  • 世界の平和と繁栄に貢献する外交政策
  • 日本の主権を守る防衛力の整備
  • 同盟国との連携強化

7. 憲法改正

  • 自主憲法の制定。
    憲法改正発議要件(96条)の改正
  • 地方自治を定めた92条〜95条の改正
  • 憲法9条に関する本格的な議論を
    恐れない

8. 大阪の発展

  • 地方創生を牽引する強い大阪
  • 地域の強みを生かし、地元住民と一体となったまちづくり
  • 南海トラフ地震などに備える、
    防災対策の強化

後援会入会

藤田文武後援会

後援会会則(抜粋)

本会は藤田文武の政治活動を後援し、社会の発展に寄与すると共に、会員相互の親睦を図ることを目的としています。
本会は目的を達成するために、後援会・研究会の開催、会誌・印刷物の刊行事業を行います。本会の経費は、寄付金、賛助金、その他の収入によります。

藤田文武の理念や政策に共感し、後援会にご入会いただける方は、
下記のフォームから必要事項をご記入くださいますよう、お願い申しあげます。

協力して
いただけそうなこと(任意)